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1日目「
大移動
」
宿泊場所;函館五稜郭シダックス
食事:朝 半額菓子パン、昼 ほっけ定食、夜 ラッキーピエロ
ついに旅立ち。朝早く起きて雪嶺蛍のアパートを発つ。20分ほど歩いて北34条の国道5号線に出る。ここからいざヒッチハイク開始。初日にして今日が最大の移動日。今日中に何とか函館に着きたい、でも札幌から函館まで約300キロある…。俺らは歴戦のヒッチハイカーだが、さすがに1日で300キロはしんどい。(以前俺一人では東京から実家まで300キロのヒッチをしたことがあるけど朝から晩までかかった)
とにかく、休む間もなくヒッチをするしかないな
1台目札幌~小樽、ロシア人渋いおじさん
大都市になるほどヒッチは難易度が上がる。交通量は多いが、大半の車が遠出はせず市内の移動で済んでしまう車、市外に向かう車はなかなかいない。
予想通り札幌市内の5号線では苦戦した。ヒッチの乗せてもらうまでの俺らの平均所要時間は場所にも拠るが10~15分位。50分はやっただろうか、そろそろ諦めて小樽まで電車で行く事も考え始めた矢先、ロシア人男性が止まってくれた。
「日本では初めて見たよ」
ロシアでヒッチハイクは当たり前だそうだ。カムチャッカ出身でその人自身ガキの頃、道なき道を走る材木運搬用のメチャでかいトラック相手にヒッチハイクしてたそうだ。
大学中退してアメリカに渡り、今では小樽でネットカフェ等を経営してるそうだ。博識かつ日本語が流暢で話が弾む、若い頃の話、ロシアの兵役の話、内戦の話、大学で学ぶ真義について、今僕らが走ってる5号線の交通事故で親友をなくしたばかりだという話…。
あっという間に小樽に着いた。そしてあっという間に雪嶺蛍は車酔いに陥る。彼はヒッチハイカーのくせして何の変哲もない平坦な道でも酔うのだ。先が思いやられる。とりあえず酔い止めを買って、ちょっと休憩して出発。
2台目小樽~余市、とび職のあんちゃん
大都市を出ればこっちのもんだ。今度はほぼ平均タイムで次の車に乗れた。仕事サボってパチンコに行く途中の兄ちゃん。
「田舎は仕事がねぇからな~、でも東京とか名古屋とか暑いとこに出てくのも絶対無理だ~」
余市で有名な定食屋「柿崎」を教えてもらいそこで昼飯を食う。海鮮がメチャ安い。俺はほっけ定食を食う(ウニとかイクラもあったけどさすがに札幌で食いまくったから節約)
3台目余市~276号分岐点、札幌在住同世代学生男
身分も年齢もほぼ俺らと一緒、気が楽だ。雪嶺蛍の体調も回復してきたので今度は彼が助手席に座り、メインの話し手に。以前雪嶺蛍が行ったニューハーフショークラブ「ららつー」の話で盛り上がった。
4台目分岐点~ニセコ おばちゃん&小学生の息子
札幌在住。でもニセコに自分でガーデン(家?)を建てるらしい。今は建設途中。夏休みの学生とか旅人がガーデン建設を手伝い、その替わりにおばちゃん達は宿泊の場を提供するという交流をしているらしい。俺らも一瞬それに乗じようか迷ったが先は長い、今回は断念した。そこのおばちゃんのブログ、8月30日の記事に俺らのことが書かれてます。↓
http:// blogs. dion.n e.jp/n iseko_ chise_ garden /archi ves/20 07-08. html
5台目ニセコ~蘭越、おばちゃん二人
おばちゃん二人の車ってのは例外なくメチャ賑やかと決まっているw俺らが何の努力をしなくても会話がメチャ弾む
息子の知り合いがこないだメジャー?デビューしたそうで(湯別メインストリートっていうグループ名、気になったら検索してみて)、CDを聴かせてもらう。俺らも対抗してオリジナルCDの話題を振ると、何と一人1枚ずつ買ってくれた。ちなみに旅の間は雪嶺蛍と俺のCD2枚セットで1000円で売ってたが、このおばちゃん達は1枚千円で買ってくれた。臨時収入にテンション上がりつつ、近いうちに大物になって蘭越にライブしにくることを誓う
6台目蘭越~長万部、仕事帰りのオッサン
今回初の無口なオッサン。今までの俺のヒッチ乗せてもらった累積ではオッサンが最も多い。その中でも半分くらいは無口なオッサン。俺らとしてはせっかく乗せていただいたのだから、乗せた側の人も俺らを乗せて良かったと思えるような時間を提供しようと思っているのだけど、上手くいかない時もある。
7台目長万部~函館、元ヤクザのじっちゃん
長万部、函館までまだ120キロ、でも現在既に16時過ぎ。やばい。暗くなるとヒッチは無理。ここは何としても函館直通の車を拾うしかない。
思いは通じて、止まった車が函館フェリー乗り場行き。やったね。
止まってくれたのは仕事帰りの元ヤクザの60過ぎのオッサン。青森の下北在住。元ヤクザだけあって、話の所々に垣間見える考え方は、信念というか、何とも筋が通っている。
息子3人を養子で抱え、立派に育てあげるが、三男が大学を中退したクソッタレだという話、日本の政治談議や、肉体労働者の苦労、一応俺もブルーカラーに染まってるのでだいたい俺が話してた。
オッサン、仕事で丸1日寝てないらしく、運転中時折、頭がカクっといきそうになる
そのくせどんどん追い越す
このオッサンが一番長いこと乗ってたかな。別れ際にお礼を言うと、
「別におまえらを助けたいわけじゃない。俺の知らないとこで息子が誰かの世話になってるかもしれない、その分俺もおまえらを乗せてやった」
あ、最初乗せてもらう時もこんなこと言ってたな。
このオッサンに限らず、乗せてくれた人の多くが、似たようなことを言っていた。自分が、自分の子供が、どこかで誰かのお世話になる。その恩をまた別のところで何かの形で返す。それは別に恩着せがましいこととかじゃなくて、人に親切にすることの原点というか、あれだ、世の中は案外優しく回ってるんだよ。
俺らもいつか…。今はまだ人の親切に甘えることの方が多い身分だな。
と考えつつ、テレビとかで有名な函館のファーストフードチェーン「ラッキーピエロ」でお腹いっぱいにして、今晩はシダックス泊。函館路上ライブは疲れたし中止。適当にカラオケで歌った後、明日も早いしさっさと寝る。明日はフェリーで本州上陸だ


宿泊場所;函館五稜郭シダックス
食事:朝 半額菓子パン、昼 ほっけ定食、夜 ラッキーピエロ
ついに旅立ち。朝早く起きて雪嶺蛍のアパートを発つ。20分ほど歩いて北34条の国道5号線に出る。ここからいざヒッチハイク開始。初日にして今日が最大の移動日。今日中に何とか函館に着きたい、でも札幌から函館まで約300キロある…。俺らは歴戦のヒッチハイカーだが、さすがに1日で300キロはしんどい。(以前俺一人では東京から実家まで300キロのヒッチをしたことがあるけど朝から晩までかかった)
とにかく、休む間もなくヒッチをするしかないな


大都市になるほどヒッチは難易度が上がる。交通量は多いが、大半の車が遠出はせず市内の移動で済んでしまう車、市外に向かう車はなかなかいない。
予想通り札幌市内の5号線では苦戦した。ヒッチの乗せてもらうまでの俺らの平均所要時間は場所にも拠るが10~15分位。50分はやっただろうか、そろそろ諦めて小樽まで電車で行く事も考え始めた矢先、ロシア人男性が止まってくれた。
「日本では初めて見たよ」
ロシアでヒッチハイクは当たり前だそうだ。カムチャッカ出身でその人自身ガキの頃、道なき道を走る材木運搬用のメチャでかいトラック相手にヒッチハイクしてたそうだ。
大学中退してアメリカに渡り、今では小樽でネットカフェ等を経営してるそうだ。博識かつ日本語が流暢で話が弾む、若い頃の話、ロシアの兵役の話、内戦の話、大学で学ぶ真義について、今僕らが走ってる5号線の交通事故で親友をなくしたばかりだという話…。
あっという間に小樽に着いた。そしてあっという間に雪嶺蛍は車酔いに陥る。彼はヒッチハイカーのくせして何の変哲もない平坦な道でも酔うのだ。先が思いやられる。とりあえず酔い止めを買って、ちょっと休憩して出発。

大都市を出ればこっちのもんだ。今度はほぼ平均タイムで次の車に乗れた。仕事サボってパチンコに行く途中の兄ちゃん。
「田舎は仕事がねぇからな~、でも東京とか名古屋とか暑いとこに出てくのも絶対無理だ~」
余市で有名な定食屋「柿崎」を教えてもらいそこで昼飯を食う。海鮮がメチャ安い。俺はほっけ定食を食う(ウニとかイクラもあったけどさすがに札幌で食いまくったから節約)

身分も年齢もほぼ俺らと一緒、気が楽だ。雪嶺蛍の体調も回復してきたので今度は彼が助手席に座り、メインの話し手に。以前雪嶺蛍が行ったニューハーフショークラブ「ららつー」の話で盛り上がった。

札幌在住。でもニセコに自分でガーデン(家?)を建てるらしい。今は建設途中。夏休みの学生とか旅人がガーデン建設を手伝い、その替わりにおばちゃん達は宿泊の場を提供するという交流をしているらしい。俺らも一瞬それに乗じようか迷ったが先は長い、今回は断念した。そこのおばちゃんのブログ、8月30日の記事に俺らのことが書かれてます。↓
http://

おばちゃん二人の車ってのは例外なくメチャ賑やかと決まっているw俺らが何の努力をしなくても会話がメチャ弾む



今回初の無口なオッサン。今までの俺のヒッチ乗せてもらった累積ではオッサンが最も多い。その中でも半分くらいは無口なオッサン。俺らとしてはせっかく乗せていただいたのだから、乗せた側の人も俺らを乗せて良かったと思えるような時間を提供しようと思っているのだけど、上手くいかない時もある。

長万部、函館までまだ120キロ、でも現在既に16時過ぎ。やばい。暗くなるとヒッチは無理。ここは何としても函館直通の車を拾うしかない。
思いは通じて、止まった車が函館フェリー乗り場行き。やったね。
止まってくれたのは仕事帰りの元ヤクザの60過ぎのオッサン。青森の下北在住。元ヤクザだけあって、話の所々に垣間見える考え方は、信念というか、何とも筋が通っている。
息子3人を養子で抱え、立派に育てあげるが、三男が大学を中退したクソッタレだという話、日本の政治談議や、肉体労働者の苦労、一応俺もブルーカラーに染まってるのでだいたい俺が話してた。
オッサン、仕事で丸1日寝てないらしく、運転中時折、頭がカクっといきそうになる


このオッサンが一番長いこと乗ってたかな。別れ際にお礼を言うと、
「別におまえらを助けたいわけじゃない。俺の知らないとこで息子が誰かの世話になってるかもしれない、その分俺もおまえらを乗せてやった」
あ、最初乗せてもらう時もこんなこと言ってたな。
このオッサンに限らず、乗せてくれた人の多くが、似たようなことを言っていた。自分が、自分の子供が、どこかで誰かのお世話になる。その恩をまた別のところで何かの形で返す。それは別に恩着せがましいこととかじゃなくて、人に親切にすることの原点というか、あれだ、世の中は案外優しく回ってるんだよ。
俺らもいつか…。今はまだ人の親切に甘えることの方が多い身分だな。
と考えつつ、テレビとかで有名な函館のファーストフードチェーン「ラッキーピエロ」でお腹いっぱいにして、今晩はシダックス泊。函館路上ライブは疲れたし中止。適当にカラオケで歌った後、明日も早いしさっさと寝る。明日はフェリーで本州上陸だ

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